二丁目SOZAI
営業時間:10:00-19:30
※土は15:00まで
※火・木は15:00-17:00休み
定休日:日曜日・祝日
住所:武蔵野市吉祥寺南町2-7-5
吉祥寺駅に直結したキラリナ京王吉祥寺ビルから、東側にあるヤマダ電機LABI吉祥寺の方へ横断歩道を渡ると、道の両脇に立つ「末広通り」と書かれたゲートが目に入ります。人気のおいしいお店をはじめ、衣食住にまつわるさまざまな店が並んでいて、「この先はどんなお店があるんだろう」とついつい歩みを進めてしまいます。どこか懐かしい雰囲気でいっぱいの「二丁目SOZAI」もこの末広通りにお店を構えています。
ショーケースに並ぶのは天ぷら、白身魚フライに唐揚げ、おむすびなど。奥の冷蔵庫には惣菜が用意され、壁には「のり唐揚げ弁当」「カツ丼たまごとじ」といった手書きのメニューがずらりと貼られています。
「あー、いらっしゃい。麦茶飲んでいって!」とお客さんに元気よく声をかけるのは店主の熊田伸哉さん。この地に生まれ育った熊田さんが「ネイティブよ!小学校(近くにある武蔵野市立第三小学校)の頃からお互い知っていて、70過ぎても変わらず○○ちゃんて呼び合うような人たちが近くにいる、そんなところよ」と話すそばから、小学校の同級生という女性がにこやかに通り過ぎていきます。
もともと熊田さんの両親が戦後からこの並びで米屋を営んでいた(現在の店舗はかつて米の倉庫だった)そうで、その当時通りには魚屋に肉屋、八百屋に豆腐屋、洗濯屋などがあったといいます。
「この辺は庭のある、一軒の間口が大きい家が多くて、周りがずっと生垣で囲まれていてね。うちは店先で子どもたちに麦茶を出しているんだけど、我々子どもの時は生垣から近所の家に入って、庭にある井戸や水道で水を飲む分には怒られなかったんだよ。怖いじいちゃんがいて『ちゃんと蛇口閉めろ!』『はい!』なんてやりとりがあって。通りに立つ街灯は、裸電球がついた柱で下に全部スイッチがついているの。それを朝、新聞配達の人が義務でもないのに消しながらずっと走っていくんだよね。今となっては映画で見るような、そういう景色だったね」
今では高くそびえるマンションも見える通りが、かつてそのような風景だったとは!子ども時代の思い出を伺うと熊田さんは「近所の肉屋さんで売っている手作りのコロッケが当時5円くらいで、買い物に行くと親がコロッケ代をくれてね。それが好きでとても嬉しかったねえ。
道もまだ舗装されていなかったから雨の日なんか小学校へ行くと、土が跳ね上がってみんな背中まで真っ黒になって。どこの家もみんな犬を放し飼いなんだけど、子どもが学校行く時、その犬たちがみんな一緒に付いてきて校庭で集まって遊んでいたりして、面白かったよ」と聞かせてくれました。
吉祥寺は1970年代になると、駅周辺を中心に大型店舗が相次いで出店するなど急速に発展していきます。「この辺りは個人店も多いから、そこまで開発が進まなかったけれど、本当に周りの建物がどんどん高くなっていって。僕は写真が趣味で、当時知り合いのマンションの屋上から定点写真のように近所を撮っていたけれど、変わっていく街を見るのは面白かったよ。70年代に一時期オーストリアで暮らしていたことがあって、それから30年くらいたって同じところに懐かしくて行ってみたの。昔は山道を登った先の小さな村に喫茶店があったけど、今は高速道路ができて店もなくなっちゃって、味気ないなって思う。どこの街も変わっていくよね」
そんな時代が移り変わっていく中で、総菜店を始めた熊田さん。「両親が扱う米を活かしてできる仕事を」と考えてのことでした。初めは10年近くチェーン店に加盟し、仕入れや運営のノウハウなどを学んだそうです。ちなみに総菜屋さんなのに「時計屋さん」と間違えて来る人が続出するという内装は、実は熊田さんのとあるアイディアから生まれたもの。お店を開業してから10年ほど経ち、店内を改装しようと考えたところけっこうお金がかかることがわかったのです。ちょうどその時、近くにあった古道具屋さんで熊田さんは古い振り子時計を見つけます。「買ってきて掛けたら、雰囲気的にも合うしいい具合で、それから見つけては買ってきて掛けたり、店に掛けて欲しいと頼まれたり。大正時代くらいの古いものもあるし、戦前から戦後にかけてアメリカ軍の土産用に作られた、少し変わったデザインの時計の中には『made in occupied Japan(占領下の日本製)』と刻まれているものもあって。面白いでしょ」と熊田さん。
そんなお店には近所に住む人はもちろん、お昼を買いにくる会社勤めの人や、春にはここでお弁当を買って井の頭公園にお花見に行く人たちもいるそうです。「だいたいみんな近所だから、買い物にもきてくれるけどお茶飲みにきたり、お客さん待っている間に話をしたりもして、憩いの場というかね」と熊田さん。
マンションも増え、新たにこの地に住む人たちがお客さんとして来てくれるようになる一方、「近くにある東進ハイスクールも昔からあるけれど、当時学生だった子が社会人になって、『懐かしい』ってまた来てくれるんですよ。女の子が子どもを連れて来てくれたりするけど、全然わからないよね(笑)。でもそういうのがとても嬉しく思います」